〔今週の御言葉-私訳と黙想 ローマ5章1、2節 神と和解しなさい〕
1そういうわけで、信仰によって義と認められたわたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストを通して、神との平和を持っています。2わたしたちは彼(イエス)によって、信仰によって、わたしたちが立っているこの恵みの中に入ることができたのであり、神の栄光の希望を喜んでいます。
ローマ書を〔罪・救い・感謝〕の三部構成と理解するのとは違う区分があります。1章18節~4章25節までを「神の義」とし、5章1節~11章36節を「神との和解」と区分します。そこでは5章からの内容が浮き立ってきます。「信仰によって義と求められたわたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストを通して、神との平和を持っています」と、神との間に「平和」が成り立っていることを明らかにします。「神と和解している」のです。しかし現実の信仰生活において、わたしたちはこの「神との和解」を実感しているでしょうか。罪を犯し、誘惑に躓くその度に、神の怒りと裁きと罰におびえ、神の顔をまともに顔を上げて見ることができなくなるのではないでしょうか。しかしここで「神との和解」は、「わたしたちの主イエス・キリストを通して」為されることだということを心に刻みたいと思います。キリストを信じ、キリストと結ばれる前のわたしたちは、律法に違反するまさに「犯罪人」でした。しかしイエス・キリストの贖いのゆえに、キリストに結び合わされた今は「神の子」として受け入れられているのです。どんな罪を犯し、どんな失敗を繰り返したとしても、神との間が「和解」しているわたしたちは、もはや犯罪人ではなく神の子なのです。失敗したり、悪いことをする子を親は叱るでしょう。しかしだからそれで親子関係が失われることはありません。悪い子ではあっても、なお神の子なのです。
